2025年01月15日
雄勝の天然石屋根材の産地へ その❷
仙台駅から石巻線へ、そして終点女川駅へ。
ここから先の交通手段は車になります。
駅に着くと周りはすっかり暗くなっていました。
ここで、意表を突かれたのは駅から海に向けって広がっているイルミネーションです。

駅には、今夜泊まる民泊さくらさんが迎えに来てくれていました。
「ここは10m盛り土して新しくできた街です」「元の町はこの土の下にあるんですよ」
「この先の港を見てみますか」
イルミネーションの中を並ぶ新しいお店を見ながら、港に向かって歩いていきました。
すると、倒れた古い建物が見えてきました。

津波で押し倒されたコンクリート造の建物でした。10mほど下に見えました。
「ここの下に見えるところが前、町があり多くのお店や住宅が建ていた地盤です」
横倒しになっているのは、津波の爪痕として残された交番の建物です。

倒れた交番を囲むようにいくつもの掲示パネルがあり、そこに復興への思いや過程が紹介されていました。
次の津波に備えるにはいくつかの対策が行われました。
高い防潮堤を作ることは海が見えなくなったり、魚港の機能を失うことでもあります。
町や村ごと立地条件が違い、専門家を交えて皆さんで話し合い復興計画が練られたのでしょうか。
平地が少ない海岸沿いの町や村は防潮堤を作り、その内側を盛り土して新たな陸地としたとのことです。
山を削り高台に住宅地を作ることも同時に進め、防潮堤の高さまで削った土を使って盛り土したのだそうです。
盛り土の高さ決定には様々な意見があったことと推測します。
町としての機能や海と共にある産業復興などにも配慮しなければならず、難しい選択だったのではと思いました。
ただ、経験した津波は新たな陸地よりもまだ数メートル高かったのです。
海底のプレートが動き続ける以上、また大きな地震と津波がやっています。
そのことをしっかり受け止めている東北の方々は、今何をすべきか、未来のためにどう備えるか共有して答えを出されたのだと思います。
これは、これから災害が起ころうとしている場所に暮らす私たちにたくさんの教えがあるのではと思いました。

この下に多くの方の家や暮らしそして命がある。
ほんの一部にすぎませんが、東北地震の復興の姿に初めて触れることができてよかったと思いました。
民泊さくらさんに一晩お世話になり、翌日目的の雄勝石が葺いてある屋根を見たいと出かけました。
目の前の雄勝湾の水はとても透き通っていて感動しました。

民泊さくらさんには、職人さんを応援する絵本「絵ことば」を置かせていただきました。
ご主人が建築士の方でした。

家の前の雄勝湾をバックに絵本を持っていただき、ご夫婦の写真撮らせていただきました。
泊まる方に見せていただき、災害の復興には欠かせない職人さんたちが少なくなっていることを知ってもらえたらと思いました。
さてどう動くかとなっても土地勘もなく車で移動するしかなく、思った工程をこなせませんでした。
残念ながら石切り場まではいけなかったのですが
雄勝硯伝統資料館、雄勝石が葺かれた移築旧鈴木家板倉(カフェとして使用)、大川小学校を回りました。

資料館には石盤葺きハンドBOOK(発行2022年)が置いてありました。
素材のこと、施工法など興味ある内容が書かれています。
天然スレートぶきは特殊界の屋根になってしまったのかもしれません。
でも、こうしてハンドBOOKにして残してもらえれば、若い職人さんたちがテキストを見ながら
石葺きの屋根の施工にチャレンジするチャンスがもらえる、と思いました。


雄勝スレートが葺かれた旧鈴木家板倉は、目の前に北上川が広がる場所に移築されてきました。
移築目的として、災害復興となる観光地サポートとしての役割があるとのことです。
ここはバスは走ってないみたいです。バイク置き場やサイクルポートがありました。


硬い石なので風化もせず、長く建物を維持してくれる地産地消の屋根ですね。
水戸市大庭町の方が書いているこちらも面白いです。
「雄勝石の天然スレート屋根(知らなかったなあ・・・美しいです)」
日本のには明治、大正時代に天然石スレートを使った建て物が100年を超えて残っています。
職人さんたちが施工した屋根(仕事)が長く後世につながっていくことは職人さんたちの誇りです。
日本の気候の中では厳しさもありますが、職人さんたちの手本として長く残っていってほしいと願います。
天然石の屋根 北海道庁旧本庁舎もその一つ。北海道歴史チャンネルで見れます。
京都府HPからは京都府庁旧本館を動画で見れます。