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2025年06月25日

熊本八代に、イグサ畑とイグサ農家さんを、静岡の畳屋さんと訪ねました。

6月初め、九州を鹿児島、熊本、平戸と「絵ことば」畳屋さん編の「絵ことば」を持って縦断してきました。

 

鹿児島では、リフォーム店を営む西谷工業さんを訪問しました。

社長様が元職人さんだったとお聞きしたこともあり、いろいろお聞きしたく訪問しました。

会社案内|鹿児島県鹿児島市のリフォーム専門店(有)西谷工業

 

 

私のことを紹介してくだるとき、皆さん苦慮?されているように感じることがあります。

「職人さんの汗と夢」の代表・・といってもNPOでもないし、

ゆるーい関係で皆さんから応援やご支援いただいて、コツコツと進めているだけなので

代表者とも言いにくそうです。

そうです。元、工務店のおとうさん、がいいような気がします。

 

そんなことを頭に自己紹介です。

先ずは職人さんを応援したい絵本「絵ことば」活動のお話をさせていただきました。

お互い初対面のこともあり、最初はやや緊張気味でしたが次第に打ち解けてお話ができました。

その中で、多能工の話題になりました。

これからリフォームの現場では、いろいろな仕事をこなせる多能工が大事になって行く。

新たな職人さん像について話してくださいました。

そして、ここに行ってみてはと、山形の会社さんを紹介してくれました。

この会社の多能工への取り組みは、やがて日本一になるのではとのことでした。

是非、行ってみたいと思います。

 

印象的だったのは、事務所の前の野菜づくりです。

いくつものプランターに数種の野菜が育っていました。

ご近所の方や来場者との会話が「この場があるから和やかに始められる」

とおしゃっていました。

野菜は家庭と直結してるし、それを育てる人の気持ちは野菜への思いとして表れる。

「プランター野菜がわが社の営業マン」なんだよと教えてもらった気がします。

西谷社長はかつて職人さん(大工さん)でした。その時の経験が

お客様とのコミュニケーションや現場の技術を大切に経営繁栄されていることが伝わってきました。

トレードマークのおひげが素敵な笑顔にぴったりでした。

帰り際に「桜島が噴火したばかりだから見ていくといいよ」と

桜島ビュースポットを教えていただきました。

数日前には噴煙がまっすぐ上に上がっていたようですが、

この日は噴火が沈静化し、このように静かに横に流れていました。

 

その後、鹿児島を出て、友人が暮らす水俣へ。

水俣について多くの学びの日になりました。

そして、熊本に向かいました。

 

翌日、熊本駅で静岡の新海畳店のご夫妻と合流し、イグサの里、八代へと。

新海畳店|ここには畳のプロがいます!ふすま・障子・網戸の張替えも承っております

 

九州新幹線はイグサ畑を横断しているので、昼間なら少し高い位置からイグサ畑を眺められたと思いますが

Pm8時を回っていたので暗く見れませんでした。

八代では、3軒のイグサ農家さんを回る予定になっていました。

八代へは熊本から、水俣方面にもどることになります。

 

一面イグサ畑、を想像していましたが、

お天気に恵まれ、田植え前の田んぼが広がる中を車を走らせました。

運転は新海畳店さんのご主人にお世話になりました。💦

実は、ご主人は「スポーツ少年団の体操教室でコーチ」をされています。今でもバク転も軽快に行うそうです。

 

やがて、ちらほらイグサ畑が見えてきました。

この光景を見るまでは、一面イグサ畑、を想像していましたが、

多くのイグサ農家さんがイグサ栽培から撤退され、

残った農家さんのイグサ畑が点在しているのだなと思いました。

くまもと畳表の歴史 | 熊本県い業生産販売振興協会 | 八代い草

 

最初の訪問は畑野泰人さんです。

農業インフルエンサー宮本が、い草農家「茣蓙蔵十平」畑野農園に行ってみた | ハーベストニュース

とても研究熱心でエネルギッシュな方でした。

リフォームしたご自宅、そして作業所、イグサ畑をご案内いただきました。

たたみ工房福島の畳職人1級技能士の福島さんも駆けつけてくださいました。

熊本市、上益城郡、 宇土市、宇城市、八代市の畳店 | たたみ工房福島

皆さんが揃ったところで「絵ことば」畳編をお渡しました。

のちに、感想と共に「い草農家編も作ってください」(笑)とメールいただきました。

こちらも(笑)。

イグサの水田を前にしてイグサ栽培についてお話を伺いました。

初めて見るイグサ、ちょっと興奮しました。

「これがイグサの育つた姿なのか~」

実はまだ成長過程、これから20㎝は伸びていきます。

たたみの横幅以上の長さになるまでですね。

ただ、イグサの先が薄茶色になってはいけないので、

刈り取り時期のタイミングやスピードがとっても難しそうです。

 

影響を与えるのが太陽の光や風なのだそうです。

ご苦労されている日々のほんの一部について話してくださったのですが

イグサ栽培はとても時間がかかり、管理も大変なことを理解しました。

イグサの出来はまずは土壌、そして、日々の管理、手を抜けば一気に品質に影響します。

 

イグサが大きくなるにつれて行う、「アミ上げ」という工程があります。

見えるでしょうか。約15cmメッシュだったかな、細い網が張られています。

この網をイグサの成長に合わせて徐々上げていくのです。

なぜ?。その大きな理由の一つは、イグサに太陽の光をまんべんなく当てるためです。

イグサが重なったり、倒れたりすると太陽光がうまくイグサに当たらくなります。

網を張ってそれを防いでいるのです。

イグサの品質には色具合の均一性や長さなどがありますが、この均一性に影響を与えるのが

太陽の光や風なのだそうです。

 

青々としたイグサ畑って、あの新しい畳の香りがするって思いませんか?

私も、あの香りを嗅ぐぞーて意気込んでいましたが、イグサの水田ではまったく香りませんでした。

 

刈りとったイグサは泥水にドボンと漬け、

そして、すぐに泥水から出して、乾燥機で乾燥→熟成(寝かせる)という工程があります。

この工程を経ることで、イグサの葉緑素の酸化を防ぎ、イグサを青く新鮮に保つことができます。

この作業は泥染めと言われます。

畳特有の香りはこの時に発生するのです。熟成の香りだったのです。

 

なんか、テクノロジーというのでなくメカって感じ

泥染めされた後イグサは、下の機械で畳表に織り込まれます。

この機械のある作業場には、あのイグサの香りが作業場中に広がっていて

森林浴しているような気分になりました。

これが畳表の織機です。なんか、テクノロジーというのでなく「メカ」って感じですね。

複雑に組み合わされたパーツからは、どうしたらうまく織れるかと

生産者と機械やさんが試行錯誤した物語があるように見えました。

縦に糸(麻や綿)よこにイグサ。

この糸やその間隔、幅を変えることでイグサの表情が変わります。

とても繊細な世界です。

畑野さんのご自宅の畳を見せていただきました。

ご自宅の畳でいろんな挑戦をされていました。

これは福島さんが制作したTATAMIWALL(私が勝手に呼んだ)です。

様々な織り方の畳表をデザインし、壁に埋め込んでいます。

だんだんといろいろ興味がわき、質問したくなりましたが、

「細かく説明してもすぐ忘れるから」と畑野さんが一蹴。

確かに。

そう言っても丁寧に畳表ができるまでを解説していただき、改めて畳の魅力と価値を感じとりました。

畑野さんの家でもう一つ気になったのはリフォームされた屋根でした。

しっかりと屋根瓦が葺いてありました。

鬼瓦も独特です。しゃちほこ?かな。

そうして、移動する車から眺めると同じような瓦屋根の家がたくさんあるの気づきました。

しかも、このような形の屋根。

屋根が複雑に構成され、どの方から見てもどちらが正面かが分かりません。

あえて、そうしている?と地元の方は言ってました。

「みのこづくり」という手法を用いた葺き方です。

このような瓦屋根に触れ、九州には瓦職人さんが大勢いる!。そう思いました。

そして「施工された瓦職人さんに渡してください」と畑野さんに「絵ことば」瓦やさん編も送ってしまいました。

 

いつか、こんなディスカッションの場を作りたい

次は熊本畳表(株)の田淵さんの作業場を訪問しました。

作業場の中には、たくさんの織機がところ狭しと並んでいました。

一見皆同じ機械のなのかなと思いましたが、それぞれが異なる織り方をする織機でした。

 

ここでもすぐに、畳職人さんと畳表生産者さんの議論がはじまりました。

お互いの意見、経験、そして技術やこだわりをぶつけ合っています。

横で聞いて言いてとても楽しく新たな発見もありとても為にもなりました。

いつか、公開で「こんなディスカッションの場を作りたい」、と強く思いました。

 

イグサは長さ別に○○番と呼ばれていました。

イグサは自然な植物なので天候の影響を大きく受けます。必然的に成長も色も様々になります。

今では育成管理や品種改良などで、一定の長さのイグサを栽培できるようになったのだと思いますが、

以前はイグサの長さは自然任せだったのかもしれません。(私の推測)

 

たたみの幅は約90~100㎝なので、材料のイグサはそれ以上の長さが必要です。

でも、短いから使えない・・ではそれまでの苦労も報われません。

そこで「中継ぎ畳」が誕生したのです。

短いイグサをつなぎ合わせて織るのです。

それを織るのがこの特殊な織機です。

きっと改良に改良を加えた手作りの織機だと思いますが、パット見た目には何が違うかわかりません。

中継ぎ表の織ったばかりの裏はこのようになっています。

短いイグサが中央で数山に折り重なってから左右に伸びています。

伸びた部分は切り取られます。

初めて見て、えーツすごいって感じでした。

 

イグサは織機の左右から投入され織り込まれます。

長さが足りなのものは真中で継がれ、その裏がこのようになるのです。

裏と表を折重ねてみると、なるほどです。

自然からいただいたものは大切にあまねく使わせていただく。

日本の建築資材はこうして大事にされてきたんだなーと感心します。

 

最近では、短いイグサはなくなり?ましたが、この技術に惚れ込んだ方が

この中継ぎ表の畳を作ってほしいと注文があるようです。

でも、この機械の寿命が来たら。直す人がいない。

今では特別な畳になってしまったのです。

 

「八代に来たら岩崎神社にお参りしなければ」

新海さんの一声で、田んぼの中にある小さな神社へ。

八代のイグサルーツがここにありました。

 

上土城跡(岩崎神社) | 熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト

 

お土産に貴重な中継ぎ表の裏側を壁掛けにアレンジしたものをいただきました。

ありがとうございます。

 

真っ黒に日焼けした中山さんが現れました。

次に訪ねたのは、大勢のインスタフォロアーに愛されているイグサ農家中山さんです。

イグサのたかちゃん “い草農家”(@igusa_nakayama) • Instagram写真と動画

こちらを見ていただければ中山さんの情熱が伝わってきます。

 

「田んぼにいるから、こっちに来てください」のコール。

車をさらに走らせ、作業中のイグサ畑に訪問させていただきました。

「どこにいるのー」 「今行きます」

真っ黒に日焼けした中山さんが現れました。なんかさわやか―。

奥様そしてご家族でイグサと真っ向から向き合っています。

残念なことに「絵ことば」絵本の持ち合わせが無くなってしまったので

その場で絵本をお渡しできませんでした。

やむなく三つ折りリーフレットをお渡しし、後日送らせていただきました。

 

7月の初めに刈り取り作業になるようです。

刈り取り風景の写真送ってください、とリクエストしています。

 

農業も家族間でつなぐことが少なくなっていると思います。

あたり一面がイグサで覆われている。八代にはそんなイメージをもって出かけましたが、

点在しているイグサ畑でした。

でも、変わってそこに覆われていたのは、イグサ農家ご家族の熱い想いでした。

 

初めて体験したイグサの田んぼ、そして畳表ができるまでの工程。

現場で技を磨き、かたちにしていく職人さんたちの背後には、その技を支え、引き立てる素材や道具があり――

そして、それらをつくり続ける生産者=職人さんたちの存在があります。

この訪問を通じて、あらためて感じました。

職人さんを応援するということは、ただ技術を称えるだけではなく、

その技を支える多くの手と想いももっと寄り添わなくてはと。

 

畳の歴史。日本人はいつから畳を使っている?日本の畳の歴史について徹底解説! – イケヒコのインテリアブログ

 

そして、平戸へ

ここでは、宮大工さんから始まり、総業140年になる中野ハウジングさんを訪ねました。

長崎県平戸・佐世保の新築・注文住宅・リフォーム│中野ハウジング(高気密高断熱の新築住宅)

事務所の前が幸橋と幸御門です。

港に回ってみると平戸城全体が見えます。

平戸城公式ウェブサイト- 平戸のシンボルとも言える城

右側の櫓は中野ハウジングさんが携わった建物です。

中野さんとはリフォームの団体で技術部会で知り合いました。

現場の技術や職人さんたちをとても大事にされているので

「職人さんの汗と夢」の活動に共感いただけると思い訪ねました。

「もちろんOkです」

帰りの際には昔ながらの製法を続けるお菓子屋さんのカステラをいただきました。

みんなでいただきました。ありがとうございました。

平戸を思い出し、とっても美味しかったです。

この後、さっそく「絵ことば」の注文をいただきお送りしました。

平戸への往復、車窓からはやっぱり瓦屋根の家が続いていました。